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2006年05月07日
グッドナイト&グッドラック
GWらしい事の皮切りは、映画鑑賞。
5月1日映画の日に選んだのは、「グッドナイト&グッドラック」。
冷戦当時のアメリカ放送局の報道の現場を、
憎たらしいほどお洒落に撮った映画。
私財まで抵当に入れてこの映画を撮影したジョジクルたん、
「こりゃ、モテルわな」と納得。
内容は映画紹介のサマリーにある通り。
権力者たちに屈せず正義を貫こうとする報道マンたちの姿。
エド・マローは”放送の良心"といわれた人で
「(テレビ)がエンタメやクイズだけを流すばかりになったら
ただの箱である」と、国民が真に思慮深くあるための放送であれ、と
言い続けた人です。
しかしスポンサーが下りたため彼の番組は継続できなくなっていく、、
というお話なのですが、
この映画の背景になった「マッカーシズム」と「エド・マロー」について
調べていたら、面白い考察があった。
■第二の問題は真実の報道と営利の追求は背理するかだ。冒頭マローのスピーチが背理を宣言する。だがマローの『シー・イット・ナウ』(53〜58年)が 53年から55年までの初期には20%以上の視聴率を稼ぐ日が珍しくなかったことを忘れるべきでない。番組はCBSとアルコア(スポンサー)のイメージアップに大貢献した。必要なのは営利主義批判の念仏でなく、「真実の報道が人気を博した時代」から「真実の報道が不人気に終わる時代」への変化が何に基づくのかを考察することだ。まず企業の営利化ではなくテレビの大衆化が(同じ営利主義の下で)企業戦略を変えさせた。59年にテレビ保有世帯は9割になるのと同時にクイズ番組が4割の視聴率を稼ぎ始める。庶民全体を相手にする以上マローの不人気化は時間の問題だった。次に、確かに横町の大衆が知的番組を見る時代があった。それは社会問題の大半が「強者/弱者」図式で切れた時代だ。そこでは大衆が自らを「弱者」と規定する。日本で言えば空港問題も公害問題も過疎問題も全て同じ図式で扱えた。それがドキュメンタリーの時代だ。豊かな社会になれば大衆の自己規定も変わる。日本で言えば宗教も売春も「強者/弱者」では扱えなくなる。分析には専門的図式が必要になり、個別問題に共通した背景を摘抉するには膨大な手間暇が必要になる。
同じ問題が当てはまるかどうか考えてみると、インターネットの面白さ、複雑さがよくわかる。
投稿者 noritama : 2006年05月07日 00:52
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コメント
私も観た。おしゃれでかっこよかったー。しけもくもいい。
テレビがクイズの類の娯楽だけを流すようになったらただの箱
って台詞にはドキッとした。
メディアの受け手としてはそれは堕落じゃないのだ〜と思いたいし、
送り手としては大衆にも、先端的なものや個性を求める人にも喜ばれたい。
ほんと、面白さと難しさを感じるねぇ。
投稿者 かわいち : 2006年05月08日 12:19
だよねえー。小手先ではない「新しさ」を感じることが最近減っています。またアンテナはりめぐらさないとーだわさ。しかーし!ジョジクルたんはめっさかっこいいだす!
投稿者 noritama : 2006年05月10日 23:12