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2008年10月11日

吉本ばなな 「こけし」

1999年の、ベネトンの広告。
ベネトンの国際キャンペーンおよび'99年春夏のカタログでは
表参道の若者のスタイルが取り上げられています。
写真:オリビエロ・トスカーニ、文:吉本ばなな
協力:TIMおよびプロクター&ギャンブル
ベネトンが見た東京の若者たち

Kokeshi - Banana Yoshimoto

わたしは、よしもとばなな、大好きだけど、
特に、デッドエンドの思い出と、この詩は、
非常に具体的に私の人生の救いとなりました。
読んだときすでに、26歳だったわけだけど、
考えていたけど言葉にできないことがしっかりと、言葉になっていて、
若い頃までぐーんとさかのぼって、救われた気がしたのを覚えている。
同時に、こんなことを言ってくれてありがとう、と思った。

雑誌を整理して、気に入ったものをスキャンしていたら、
見付かったので画像にしてとっておく。

「こけし」-吉本ばなな

私は、自分にぴったり合う服をさがしている
それはどこに行っても、見つけることができない
私の内面をみんな、外に表現できる形、布、色
今ここに確かに生きていることを表わす服
知っているイメージを全て組み合わせても違う
今のこの国では、私の両親すらそれを見つけることはできない

こけしのように、
むいたゆで卵のように、
産まれ落ちるのを待つ胎児のように、
私は何かを待っている
まだ産まれたばかりの濡れているひよこのように、
これから起きる楽しいことや悲しいことをじっと予感している
それを言葉にすることもまだできない
でも脈をうち、生きている

この国のどこに産まれてもあまり変わりはない
追い立てられ、急がされ、型にはめられ、
どんな田舎もようしゃなく貫く味気ない大きな道路と、
センスの悪い大型の店が立ち並ぶだけ
でもこんもりと緑色の山を見ると涙が出る
おもちゃみたいに小さな滝や、
湖のように静かな海の灰色
この国にしかない繊細な自然を愛している

今は何が起こっても不思議ではない時代だ
小さな鳥を守るために真剣に会議が開かれ、同時に
子供が猫を殺す
昔ながらのお祭りを楽しみお神輿をかついでいる時、
誰かがみんなのための食事に毒を入れている
何を信じたらいいのかわからないという人もいる

それとは少し違うけれど、友達のお母さんはいつも爪をきれいにしていて、
台所は使わないからぴかぴか
高級なスーパーのおそうざいと、
配達される焼きたてのフランスパンしか食べない
でも友達は愛されている
私のお母さんは農家の出身で台所は油に汚れ、
おいしい白いごはんや天ぷらや漬物を作る
私も愛されている
差があることの悪い面よりも、その差の中でも愛が育まれわかり合うことができること
育っていくこと
私はこのめまぐるしく動く時代の中で、いろいろな人を見すぎて、
今やどこから来たどんな外見の人でも恐れることなく出会うことができる
本能を信じて、こだわりを捨てて、
私たちの魂はどんどんすばらしくなっていっている

私は、
食べるのが、楽をするのが、
健康でいることが、
人によく思われるのが、お金が、
いやなものは見ないことにするのが、
好き
でも、そのために生きているのではない
したいことのためには
食べなくても、大変でも、
体を壊しても、
悪口をたくさん言われても、貧乏でも、
醜いものをたくさん見ても、
かまわない

そのくらいの覚悟はあるまだ幼い自分を嫌いではない
生きていることはいつでも両方を見ること
そんなに捨てたものではないと思う
TVも新聞も、悲しいことばかり言わないでほしい
今はまだはじまったばかりの、
新しい旅の途中

投稿者 noritama : 2008年10月11日 22:59

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